Part17*私自身の結婚のこと【後編】
私の披露宴は、まさに今の結婚式を示唆していた気がします。例えば開宴の辞は主人が、お開きの挨拶は私がするといったことも新しかったんですよ。そのころの披露宴は、新郎新婦がひと言も話さないようなものでしたから。
いろいろなことで「型破りな披露宴」と言われましたが、仲人を立てないというのもそのひとつ。元首相の福田赳夫さんへ二人で挨拶に行ったとき、福田さんはてっきり仲人を頼みに来たと思っているわけです。なかなか主人が言い出さないので怪訝そうな顔をされている。私が主人をつついたりして仲人を立てない旨をやっとのことで伝えたんです。「でも、主賓の第一番目のスピーチは福田先生にお願いしたいのです」と言ったとき、やっと機嫌を直されたことをよく覚えています。
とにかくゲストは500人を超えていますから、普通なら主賓のはずのお役人たちがスピーチも何もできなかったんです。大臣級の人だけ挨拶していただいても10人にもなってしまいますから。
それにそのころは着席スタイルが一般的で、ビュッフェスタイルだったこと自体が型破りだと言われました。向こうは大蔵省の役人ですし、こちらはファッションや美容関係で、皆超多忙の方ばかり。いついらして、いつ帰っても目立たないようにするにはビュッフェスタイルしかないと思っただけなんですけれど。
お花を担当したのはフラワーデザイナーのマミ川崎さん。ちょうど、私とマミさんは共著『ニューウエディングプラン』という本を作っている最中でした。これからの新しいウエディングスタイルということで、会場を花で埋め尽くしたシーンが欲しい。けれど、そんな写真を載せるには大変な費用がかさむと出版社が頭を悩ませていたところに私の披露宴! お花代は披露宴の経費から捻出して無事撮影が完了したんですよ。ゲストが多勢でも見えるようにと、スタンドで大きなオブジェみたいにしたんです。
さらに、ウエディングケーキの入刀や、一般的に流行しかけていたキャンドルサービスもしなかったですね。その代わりに、主人が京都祇園から舞妓さんを呼んで踊ってもらったり、クラシック歌手の方々に歌っていただいたりと、ゲストの方々に楽しんでいただくような工夫をしました。
当時の新郎新婦としては、私たちが日本一忙しかったでしょうね。なにしろゲストの窓口は私しかいませんから。ゲスト全員に気を遣わなくてはいけないですし、初めて顔を見る人にはさらに気を遣いますしね。政治家が多かったので、ゲストの顔をよく知っている人にアテンド役を頼んだつもりなのですが、ビュッフェスタイルの500人の中から「次は○○先生です」と促して連れて来るのは至難の業。失敗がないかどうか、ハラハラしどおしでした。
結局、私は自分の結婚式でウエディングプランナーの役目をしていたんですけれど、「本当によくやった! 成功してよかった」と思う一方で「自分の結婚式で、プランナーをやってはいけない」と思いましたね。それは今でも教訓になっています。やはり花嫁はあくせく動いたりせずに、ゆったりエレガントに振る舞ってほしい。それが私の願いです。
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Part16 * 私自身の結婚のこと【前編】
Part15 * 川島なお美さん&鎧塚俊彦さんに学ぶ「大人のウエディング」
Part14 * 忘れられない結婚式/中山雅史さん&生田智子さん
Part13 * 忘れられない結婚式/三浦知良さん&設楽りさ子さん
Part12 * 信念をもって言い続ければ、きっと報われる!
Part11 * 社交性を磨いて、パーティ上手に!
Part10 * アンテナを張って「本物を見る目」や「センス」を磨く
Part9 * いつでもポジティブでいるために…
Part8 * 小さなコンプレックスに縛られない生き方を
Part7 * 「いいことをしている」という自信が人脈を広げてくれる!
Part6 * 「大切な決断は、朝に!」それが後悔しないコツ
Part5 * 一瞬のひらめきがすべてのエネルギー!
Part4 * 思いやり以上の思いやり、「恕」の精神
Part3 * 恋愛も仕事も、大切なのは「ひと筋」で行くこと
Part2 * 心のライバルを見つけたら、無限のパワーが湧いてくる!
Part1 * 必ず見つけてほしい! 運命の赤い糸で結ばれた人
2010-03-19 | 固定リンク




