マイケル・ジャクソン追想
7月7日、マイケル・ジャクソンに世界中が永遠のさよならを告げた。
ロサンゼルスの、2万人収容できるステープルズセンターを埋めた参列者。
平日の午前10時からということで、約3000人の警官が周辺に配置された。
メディアも、運よく抽選に当たって整理券を入手した大勢のファンも、
世界を魅了した偉大なエンタテイナーへの敬意からか、
非常に静かで、協力的な態度だったという。
追悼式で、マイケルの遺影の前に集まった一族
朝10時30分に、ネルソン・マンデラ、ダイアナ・ロスからのメッセージで
スタートしたメモリアル式典は、CNNなどを通じて世界中に同時中継された。
ウェブサイトでもライブ配信され、まさに地球規模の送別。
TVにかじりついて見た人はアメリカ国内で3100万人。
ウィークデイだったため、オフィスのコンピューターでウェブキャストを
見ていた視聴者も含めると、アメリカだけで6000万人以上が
彼の追悼式に出席したことになるとか。(セレブログのニュースはこちら)
14金張りの棺の中のマイケル・ジャクソンは、無数のスワロフスキー・クリスタルが
ちりばめられた白い手袋をいつものように右手に着けていたそうだ。
まだ彼の永眠の場所は決まってない。ファミリーだけの告別式が行われた、
バーバンクにあるフォレスト・ローン墓地に埋葬するか、
彼の夢の集大成だったサンタバーバラ(LAから北に1時間)の
<ネバーランド>の一角に埋葬するかは未決定。
が、03年に性的幼児虐待容疑で逮捕されたとき、警察に家宅捜査され、
メディアに囲まれ、苦しめられた時期の住居ネバーランドには、
「二度と住まない」と断言しており、永眠の地にはふさわしくないのでは。
なんと30年近くも前、1980年に彼にインタビューをしたことがある。
King of Popになるずうううっと前だ。アルバム「オフ・ザ・ウォール」が
ヒットした後で、次に出した「スリラー」の前代未聞の大ヒット前の、
静かなひとときという感じだった。
レコーディングスタジオの一室に入ると、背が高くて細~い身体が印象的な彼が
数人に囲まれて立っていた。もの静かで、シャイで、か細い高い声でしゃべる。
質問するこっちも自然にボソボソ小さな声になっていた。
写真にはすぐ上のお兄さんのマーロン・ジャクソンしか写ってないけれど、
お姉さんのラトーヤ・ジャクンと、身体の大きいボディガードのオジさんも
ウロウロしてて、ファミリーの集まりみたいな気楽な感じだった。
子供の頃にジャクソン5として来日したことがある(73年)彼が、
「実は子供だったから、文化的なこととかは記憶がなくて、
日本人が親切だと思ったこと、もの静かなマナーが印象的だった
ことくらいしか覚えてないんだ…」と語ったら、ボディガードが
「もうひとつあるじゃないか」とニヤリ。
「マイケルはホテルの部屋でTVの“11PM”(知ってますか?)に出てくる
裸(ビキニかな?)の女の子を目を輝かせて見てたんだ」とからかった。
マイケルはアハハハと楽しそうに笑って、「そうだ、ああいう番組、
アメリカにはなかったから、びっくりしたんだ」と思い出して楽しそうだった。
インタビューが進むにつれて、だんだん声が聞こえないほどか細くなった。
ええとォ? すみません…と困ってる私に気がついて、ラトーヤが
彼の答えを繰り返してくれた。そのうち、マイケルがラトーヤに耳打ちして囁き、
ラトーヤが彼の答えを普通の声で言ってくれる…という通訳(?)入りの
おかしなインタビューになった。
「オフ・ザ・ウォール」の中に「あの娘が消えた」というバラードがあった。
あんなにせつなく失恋の歌を歌えるなんて経験済み?と聞いたら、
「人間なら愛する人との別れがどんなにつらいものかイマジンできるはず。
ものすごい失恋経験はないけど、別れのつらさは僕に中にもある」と、
ほとんど聞き取れないソフトな声で答えてくれた。隣のラトーヤが
「マイケルは人の何倍も感じやすい人なのよ」と耳元で囁いた。
インタビューの後のカメラマンの要望にも気楽に応えてくれた。
暗いスタジオの外に出てほしいと言うと、オーケーとひとりで路上に出て
カメラに向かってくれた。今思えば信じられないひとときだった。
この後彼のもとに訪れた、想像を絶する成功と名声とパワーと、
無数の善人と悪人と幸福と不幸と誘惑と…。.
上の写真に写っているお兄さんのマーロンの、お葬式での
「彼はすべてから解放されてほっとしているに違いない」という言葉が心に残る。
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2009-07-10 | 固定リンク







