孤独を抱えながらも“僕”は誇り高く生きる──『僕がいない場所』

好むと好まざるとにかかわらず、人より早く大人にならなければならない子どもたちがいる。親がいないとか、いても親のつとめを果たさないとか…。そうした状況の中でも、彼らはなんとか生きる術を探して生き抜こうとする。もしかしたら、すぐヘコたれる大人なんかより、よっぽど勇敢なのかもしれない。この『僕がいない場所』の主人公のように。
主人公のクンデル(ピョトル・ヤギェルスキ)は、ポーランドの国立孤児院で暮らす、詩人を夢見る少年。だが、詩の朗読をみんなに笑われたりすると、すぐ反抗的な態度を取ってしまう、誰にも心を開かない問題児。またも先生に叱られ「ここに僕の居場所はない」と感じたクンデルは、意を決して孤児院を抜け出し、母親の元に向かうことに。家に着くと母親は久しぶりの再会を喜んではくれるのだが、それ以上にベッドに寝ている見知らぬ男に気を遣い、クンデルを表に連れ出し、「私は愛がないと生きていけない」と一緒に住めない言い訳を話しだす。そんな母親の“女の部分”なんて見たくも知りたくもないクンデルは、母に噛みつきケンカ別れ。その後、ひとり町をさまよい、不良少年たちに追っかけられ怖い思いをしながらも、町外れの川べりで廃船を見つけ、身を落ち着ける。そしてクンデルは、ひとりで生きてゆく決意をするのだが…。
最初は止むに止まれず盗みも働くけど、空き缶を拾い小銭を稼ぎ、食堂では「タダでいいわよ」とウェイトレスに言われても、きっちりお代を払い、施しは受けない。とても子どもとは思えない頼もしさにビックリだ。さらに、ひとりぼっちでの廃船暮らしとなれば、否応なしに孤独感が募るはずなのに、クンデルは母の家から持ってきた手巻きのオルゴールを鳴らし、母にあやされ幸せだった赤ん坊の頃に想いを馳せ、心を落ち着ける。頼もしいだけでなく健気さもあり、彼を知れば知るほどに惹かれてゆく。
また、クンデルが唯一、心を開く、酔っ払いのお嬢さまクレツズカ(アグニェシカ・ナゴジツカ)との心の交流も見どころのひとつ。じつは、クレツズカも常に才色兼備の姉と比べられる悩みを抱えていて、「私はいらない子」という思いをお酒でまぎらわせる、裕福だけど孤独な少女。それがクンデルと出会い、食事を調達したり、心の内を話したりするうちに、前向きな気持ちになってゆく様がなんとも微笑ましい。とはいえ、クンデルにとってクレツズカは異性というより良きソウルメイトで、美人のお姉さんのことも気になっているもよう。果たして、クンデルよ、キミもやっぱりフツーの男なのか、それともひと味違う男なのか、は見てのお楽しみ。
そんな、こちらが感心するほどタフな子どもの物語ではあるけれど、クンデルは廃船を動かしステキな彼女と冒険の旅に出かけました、めでたしめでたし、なんておとぎ話のように終わるはずがないのが現実。この映画にも、同様のリアルで悲しい現実が待っている。
けっして楽しいだけの映画じゃないけど、可哀想と他人事に感じる映画でもない。クンデルやクレツズカの孤独な心に自然とこちらも共鳴してしまう、切ないのに愛着を感じずにはいられない映画。なぜなら、多くを語らず目や態度で語る、彼らの「愛して」という静かなる心の叫びは、誰もが欲しているものだと思うから。
『僕がいない場所』 10月13日(土)~シネマ・アンジェリカほかにて全国順次公開
オフィシャルサイト http://boku-inai.jp/
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2007-10-12 【映画】 | 固定リンク
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