“真実”を見出すきっかけは、いつも思いがけないコト――「主人公は僕だった」&「毛皮のエロス」
人生の転機なんて言うと大げさですが、ふとしたことがきっかけで一生を共にするほどの誰かと出会ったり、恋に落ちたり、別れたりと振り返れば思いがけないことばかり。今週は、まさしく人生を一変させる“真実”を見つける出会いを得た人々の話です。
過去12年間、1分の狂いもない判で押したような毎日を送る――それが、国税庁会計検査官ハロルド(ウィル・フェレル)だ。しかしある朝、歯磨きの最中に突然女性の声が聞こえてくる。その声は、彼の行動や頭に浮かんだ思いを、まるで「主人公は僕だった」と彼に言わせんばかりに文学的な表現で語るのだが、他人には聞こえないらしい。そして、どうにも振り払えないその声が決定的な一言を告げる。「このささいな行為が死を招こうとは、彼は知るよしもなかった……」。仰天したハロルドは精神科医やカウンセラーを訪ねるが、答えは出ない。ついにはある医者の「文学専門家を訪ねては」という言葉に、大学教授ヒルバート(ダスティン・ホフマン)の元へ。初めは相手にしなかったヒルバートだが、非常に文学的なハロルドの表現に興味を持ち、「悲劇は喜劇にすればいい。それには、まず敵対する相手と恋に落ちること」と助言する。そして、ハロルドは税金未納督促のために小さなケーキ屋を訪れ、アナ(マギー・ギレンホール)と出会う――。
毎朝、上下左右計76回歯を磨き、342歩でバス停へ歩き、1日平均7.134件の書類を調べ、45.7分のランチタイムをとり、帰宅後は23時13分に就寝――国税庁職員らしく(笑)、数字に裏打ちされたカンペキな日常をひっくり返したのは、奇想天外な“声”の存在でした。
その“声”の主は、有名な悲劇作家カレン(エマ・トンプソン)。なんとハロルドは、彼女が10年ぶりに執筆している、完成すれば傑作となるであろう小説の主人公だったのです。
もちろん現実にはありえない設定です。自分の人生が、作家の書く小説だったなんて。あらかじめ結末の“死”が決められ、それに向かって書き進められていただけだなんて。でも、実は日常で意識することはあまりありませんが、人間誰しも、生まれてからはひたすら“死”に向かう時間を生きているという意味では、同じことなのかもしれません。
意識していなかった“死”がまさに目前にあることを知ったハロルドは、「学生の時に買わずにあきらめていたギターを購入」したり、「仕事に行かず、1日家でのんびり過ごす」など、それまでなら考えられなかった人生を生き始めます。それは、ちょっと皮肉なことですが。でも、一瞬一瞬を楽しむ彼の人生は、明らかに輝き始めるのです。
敵対する(といっても、税金未納なだけですが・笑)、自分とはまったく違ってのびのびと人生を謳歌しているアナとの出会いは彼にどんな影響を与えるのか? 何よりも文学を愛するヒルバート教授との出会いは? さらに、決して異次元などではなく、同じ世界、同じ街で生きている作家カレンの居所を突き止め、自分が「本当にこの世に生きている」ことを伝えて、結末=“死”を回避することはできるのか?
慌しい日常に紛れて、ふと忘れてしまいがちな「人生の大切なこと」。奇想天外な設定ですが、とっても普遍的な、誰にでも関わりのある何かを気づかせてくれそうです。
「主人公は僕だった」 5月19日(土)~、日比谷みゆき座他、全国公開
オフィシャルサイト http://sonypictures.jp
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「毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト」――1958年、ニューヨークの裕福な家庭に育ったダイアン・アーバス(ニコール・キッドマン)は、ファッションカメラマンの夫アラン(タイ・バーレル)のアシスタントとして働きながら、2人の娘にも恵まれ、傍目には幸せな生活を送っている。しかし、常に心のどこかに満たされないものを抱えていた。ある晩、彼女の住むアパートメントに1人の奇妙な男が越してくる。コートで全身を覆い、眼の部分だけがくり抜かれたマスクを頭からすっぽり被ったその男ライオネル(ロバート・ダウニーJr.)に強烈に惹かれるダイアン。数日後、意を決した彼女はカメラを片手に彼の部屋を訪れ、「撮影させて欲しい」と頼むが……。
ダイアン・アーバスは実在の女性カメラマン。彼女の主たる被写体は、結合双生児や身長8フィート(約240cm)の大男、同性愛者、ヌーディスト等々のいわゆる“フリークス”と呼ばれる人々でした。彼らの抱える精神的外傷を共有した彼女の作品は、やがて後の写真家たちに大きな影響を与えていきます。
原作となったのは、1984年に出版されたパトリシア・ボズワースの書いた伝記『炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス』。映画は、彼女の足跡をたどる伝記の一部――カメラを手にし、アーティストに変貌していく過程を、「なぜ、彼女がフリークスにのめり込んでいったのか」という謎を中心に、監督スティーヴン・シャインバーグと脚本家エリン・クレシダ・ウィルソンがイマジネーションで膨らませたものになっています。ですので、ライオネルは(彼女の作品にモデルとなった男性はいる)、実は架空の存在(映画にも「本作は史実に忠実な伝記映画ではない」とクレジット)。
その分、物語は自由にはばたき、内気で貞淑な妻であり母であった女性が生きる意味を見い出すための葛藤や、そのきっかけとなる男性との出会いがよりドラマチックに。2人の関係は一言で言ってしまえば不倫ですが、真摯で、清らかにすら見えます。
それにしても、N・キッドマンの変わらない美しさにため息。ひとまとめにした髪を下ろし、若々しい青いドレスに着替えた彼女が、カメラ1つをクビに提げライオネルの部屋を訪れるシーンは、見ているだけでドキドキしてしまいます。
この出会いをきっかけに自由な翼を得た彼女が、見つけたものは何だったのか。映画で描かれた出会いはフィクションですが、きっと彼女が遺した作品と見事にリンクしているのではないでしょうか。そう思うと、写真集にも興味がわいてくる映画です。
「毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト」 5月26日(土)~、シネマGAGA! 他全国順次公開
オフィシャルサイト http://kegawa.gyao.jp
(c)MMVI NEW LINE CINEMA PICTUREHOUSE HOLDINGS, INC./HBO PICTUREHOUSE HOLDINGS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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2007-05-11 【映画】 | 固定リンク
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トラックバック送信日 2007/05/20 19:55:21
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