フィッツジェラルドの最高傑作『グレート・ギャツビー』が、村上春樹さんの手によって蘇る!
村上春樹さんが、とうとう、あのスコット・フィッツジェラルドの傑作『グレート・ギャツビー』を新しく翻訳したということで、大きな注目が集まっています。
でも、この作品はすでに三つの翻訳が存在している古典とも言って良い存在。好況にわいていた1920年代アメリカ大狂騒時代の、“成金”ギャツビーの哀しく美しい恋のストーリー自体は日本でもとても有名ですし、村上さんはこの作品だけでなく、他にも多くの翻訳を手がけています。では、なぜ“春樹版ギャツビー”は、これほどまで大きな注目を浴びているのでしょう?
村上さんは、ご存知の通り、日本を代表する小説家であると同時に、名翻訳家として、世界の名作を軽やかに訳して日本に紹介してくれる人です。そして、そんな村上さんにとってフィッツジェラルドという小説家は、特別な存在。さらに、そんな特別な存在であるフィッツジェラルドの作品の中でも、最も大事な作品、それが『グレート・ギャツビー』だからなのです。村上さんは、少々長めの「あとがき」でキッパリとこう書いていらっしゃいます。
もし「これまでの人生で巡り合ったもっとも重要な三冊をあげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。(中略)どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕は迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ。もし『グレート・ギャツビー』という作品に巡り合わなかったら、僕はたぶん今とは違う小説を書いていたのではあるまいかという気がするほどである(あるいは何も書いていなかったかもしれない)(後略)。
つまり、『グレート・ギャツビー』は、村上春樹という人間を村上春樹たらしめた作品と言っても過言ではないんですね。となれば、春樹ファンならずとも、春樹版ギャツビーがどんなギャツビーなのか、興味がわくというもの。それで、「村上春樹はギャツビーをどう翻訳したのか?」と大注目を浴びている、というわけなんです。
豪華絢爛で軽薄でスノビッシュなライフスタイルと、その陰に潜むどす黒い不安感が描かれたこの作品は、1925年にアメリカで発表された際、いろいろな意味で脚光を浴びたそうです。第一に、素晴らしい作品であったから。第二に、まさにアメリカの現代の物語であったから。第三に、主人公・ギャツビーのスノッブでおしゃれなライフスタイルを、フィッツジェラルドその人が実践していたから。つまり、かなりセンセーショナルな作品だったんでしょう。
それから、80年経った今、ギャツビーは古びた存在になったかというと、これが驚くほど、古びていませんでした。浮かれた季節の後のけだるさがもたらす、そこはかとなく不安な雰囲気は、ヒルズ族をもてはやす、どこかの国の「今」をうっすらと彷彿させるほど。よりナイーブになって蘇った春樹版ギャツビーは、とても「今的」でした。村上さんが満を持して訳したのは、今なら思った通りに翻訳ができそうだという自信と、時代に対するある種の警告の意味もあったのかもしれません。
ちなみに、春樹版ギャツビーには、新書版と付録がついた愛蔵版の二種類があります。この付録は、物語の舞台となった1920年代のニューヨークと現在のニューヨークを比較した、書き下ろし小冊子。もし予算が許すなら、私は断然、愛蔵版をお勧め! です。
『グレート・ギャツビー』
(中央公論新社)
愛蔵版 定価2730円
新書版 定価861円
お勧め度 ★★★★★
『グレート・ギャツビー』を発行している中央公論新社のサイトはこちら。
http://www.chuko.co.jp/
おまけ。
先日、ボストンからアムトラックという電車でニューヨークへ行きました。到着駅はペンシルヴェニア駅。この駅は『グレート・ギャツビー』の語り手であるニックが通勤で使った駅として登場します。スーツケースを持って慌ててタクシーに向かったので、写真がピンボケ。手ブレ防止デジカメ、やっぱり買おうかしら…。(中沢・撮影)
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2006-12-12 | 固定リンク
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